市民でつくろう! 朝霞基地跡地公園

朝霞市に残された米軍キャンプ跡地。 緑を生かした公園づくりをみんなで考え、参加しましょう!!

2012年11月

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シンポジウム オープン1ヶ月
 みんなで考えよう 朝霞の森をどう育てるか
 
待ちに待った朝霞基地跡地の一部3㌶が11月4日、広場としてオープンしました。
オープンには約1000名の市民が訪れ、青空の下で朝霞高校ジャズバンドの演奏を楽しんだり、子ども達が伸び伸びと広い原っぱでプレーパークなどの遊びに熱中しました。
オープンに向けての準備期間が短かったため、今後取り組む課題も多々あります。利用開始から1ヶ月の利用状況などを踏まえながら、朝霞市民の大切な跡地広場「朝霞の森」をどのように育てていくか。朝霞基地跡地の公園整備計画づくり等に携わってきた方と話し合います。
 
 ♪青空コンサート開きたい
 ♪映写会をしたい
 ♪町内会の盆踊りの会場にしたい
 ♪秋に芋煮会を催したい
 ♪ウォーキング大会の会場にできないか等々
 
あなたの思いも一緒に語り合いませんか。
 
 
「朝霞の森」オープン記念シンポジウム
   テーマ 「朝霞の森をどう育てるか・・・みんなで考えよう
 
 ・日時 12月9日(日) 13:30~16:00
・会場 朝霞中央公民館(コミセン) 2階 学習室
・主催 朝霞基地跡地の自然を守る会
 
記念講演 東京農業大学客員教授 戸田芳樹氏
 
パネリスト
・あさかプレーパークの会 代表 野上真由美さん
・NPO法人 和光・緑と湧き水の会 理事 高橋勝緒さん
・朝霞基地跡地の自然を守る会 藤井由美子さん
 
 ※駐車場に制限があります。できるだけ自転車や徒歩でおいでください。
 
 
埼玉新聞20121128()
立川新座市議の擁立を取りやめ 4区で生活
 「国民の生活が第一」は27日までに、次期衆院選で同県連が埼玉4区(新座市など)に擁立する予定だった新座市議の立川明日香氏(27)について、擁立を取りやめたことを明らかにした。
 立川氏は26日付のブログに「軽率な決断により、党本部や議員の皆様にご迷惑をおかけしたことを謝罪します」と出馬取りやめを示唆するコメントを掲載している。
 

11年度廃止予定 朝霞市根岸台の朝霞住宅は長寿命化工事で延命へ 
 
 公務員宿舎「朝霞住宅」の存続が決まった。
26日、財務省が発表した「国家公務員宿舎の削減計画」によれば、長寿命化を行い存続させるリストに「朝霞住宅」が入っている。
 
イメージ 1 「朝霞住宅」は市内の根岸台7丁目地内にあるコンクリート造りの3階建ての3棟51戸の宿舎だ。周囲は住宅地で第1種低層住居専用地域のため、建て替えても高層化できないことから、2008年に策定された宿舎の移転・再配置計画で2011年度に廃止・売却とされていた。このため、入居者はほぼ退去し、外から見ると現在は空き家に見える。
 
 「朝霞住宅」の住居環境は良好だ。朝霞駅まで徒歩で約10分、2階建てなので日当たりはバッチリ。敷地も広く、子育てなど生活するのには一等地といっていいだろう。建設後40年近く経つため、家賃は1万円以下であったと思われる。長寿命化後の家賃はどのように設定するのか興味がある。
 
独法宿舎も家賃2倍に 戸数は33%減へ
 岡田克也副総理は27日の記者会見で、2018年度までに独立行政法人の職員宿舎の賃料をほぼ倍にすると発表した。
 宿舎は51法人で2万700戸(2009年度末)あり、少なくとも33%にあたる7千戸を廃止して跡地を売却。国庫に納付する。12月中旬をめどに具体的な縮小の実施計画をまとめるとしている。
 

孫崎享著「戦後史の正体」が面白い! 
     エエッ岸信介が対米「自主」路線派!
 
イメージ 1今年7月に発売された元外務省国際情報局長・孫崎享著「戦後史の正体」(創元社) が、この手の書籍としては空前のベストセラーとなっている。「戦後史の正体」は、孫崎氏が外務省の公用文書をすべて読み込んで書いたもの。
 
先日の重光葵記念館のブログ記事で孫崎氏が重光を大変高く評価していると書いた。この本の帯には「元外務省国際情報局長が、最大のタブー『米国からの圧力』を軸に、戦後70年を読み解く!」とある。
 
孫崎氏は日本の戦後史を動かす原動力は、米国に対するふたつの外交路線と指摘する。米国の圧力に対する「自主」路線と「追随」路線のせめぎ合い、相克が今も続くという。最近では沖縄・普天間基地問題で対米、自主外交を展開しようとした鳩山由紀夫元首相、アジア重視をしようとした小沢一郎氏の失脚などもすべてこの路線のせめぎ合いから生じていると分析する。
 
戦後の鳩山一郎、石橋湛山首相らは自主路線派。吉田茂は完全な対米追随外交を展開。池田勇人に追随路線は引き継がれる。エエッと思ったのが岸信介と佐藤栄作の評価だ。孫崎氏は2人とも自主路線派であったという。読めばなるほど、その意味では自主路線派といえる。
 
選手村、なぜ朝霞から代々木へ
 
皆さんに紹介したかったのは、この本で「キャンプ朝霞」が登場する一節がある。引くと
1980年、魚本藤吉郎ソ連大使との食事の席で「孫崎。君も東京に行けばそのうち、課長になる。自分がただしいと思ったことをつらぬけ。外務省はそれをやらせてくれる省だ」と語った後、ライシャワー大使に関する一つのエピソードを話してくれた。
 
「東京オリンピックのとき、自分は外務省北米局の安全保障課長だった。そのときオリンピックの選手村は朝霞ということになっていた。自分はこれはまずいと判断した。選手が朝霞から国立競技場にくるには長い時間がかかる。そして競技場の横には米軍代々木キャンプがある。内外の世論は『なぜ米軍が東京の中心に居座っているのだ』と批判するにちがいない。米軍は代々木キャンプから出てもらおう。そして選手村を朝霞から代々木に移そうと考えた。
外務省の首脳は支持してくれた。田中北米局参事官と一緒にライシャワー大使のところにでかけた。ライシャワー大使は熱心に聞いてくれたあと、『了解しました。米国はそのとおり実行しましょう』と約束してくれた。
ところがここでこの問題は終わらなかった。ライシャワー大使の了解をとって、文部省に出かけた。ところが担当課長はどうしてもうんと言わない。『選手村は朝霞に決めた。いまさら主管官庁でもない外務省が口をはさむな』ということで、まったく動かない。
 それで自分は内閣の官房副長官のところに出かけて『何とかできないか』とお願いした。官房副長官は『分かった』と了解して、知恵をくれた。その当時から、重要案件は閣議にかける前に、すべて事務次官会議で了解をとる慣行があった。もし事務次官会議に提出すれば、当然文部次官は反対する。官房副長官はつぎのように指示してくれた。
 『ライシャワー大使がオリンピックのキャンプ場を朝霞から代々木に移転することで了承したと、事務次官会議をとおさずに、外務省が閣議に報告しろ。たぶん文部大臣はその問題の説明を受けていない。黙って見逃す。あとは私が処理する』」
 
 魚本大使は「そのあと文部省の怒りは大変だった」と言いつつ、自分が正しいと思ったことは実行しろと述べられた。と書いている。
 
 決まっていた朝霞の選手村がなぜ、代々木に変更になったのか、歴史の裏側の証言である。
 
 
 

国民の生活が第一」が擁立へ 
  朝霞基地跡地の早期利用実現に尽力する人は
 
 朝霞、新座市などの衆院4区に「国民の生活が第一」埼玉県連がタレントで新座市議の立川明日香氏(27)を擁立すると埼玉新聞が伝えている。
 立川氏は、2月の市議選に高位で初当選後「選挙区内での居住実態がない」として県選管が当選無効の採決をした。これを不服として裁決の取り消しを求め東京高裁へ訴えを起こしている。
 
 4区は既に4人が立候補を表明。
激しい選挙戦が始まっている。前職の神風英男氏は防衛政務官などの実績を訴えているが民主党の不人気に加え、朝霞基地跡地への国家公務員宿舎問題などの経過から厳しい闘いだ。自民党からは公募で選ばれた豊田真由子氏が38歳の若さと行政のプロとしての実行力を訴え、保守層に浸透を図っている。挑戦3度目の共産党・櫻井晴子氏は反消費税、脱原発支持層に焦点絞って運動を展開していたが、主張が重なる立川明日香氏の立候補が相乗効果を生むか注目される。日本維新の会の青柳仁士氏は地元に知名度もなく、慌しい立候補だけに風が頼みの選挙だ。
 
 私たちも今後の朝霞基地跡地16.4㌶の早期利用に向けて市民・行政と協力して活動していける人物を選びたい。市民も行政も跡地については有償譲渡ではなく、国有財産法の無償貸し付け方式で進めることで合意している。しかし、無償貸し付けの壁は厚く、どうしても政治力が必要である。市民、行政と力を合わせ国に働きかけられる人物を選びたいと思う。
 しっかり政策を吟味していきたいですね。
 
  

衆院4区に立川新座市議、15区小高氏擁立へ 国民の生活が第一

 12月4日に告示される衆院選・小選挙区で、国民の生活が第一県連が4区(新座市など)にタレントで新座市議の立川明日香氏(27)、15区(さいたま市桜区など)にミニコミ紙の事務局長を務める小高真氏元に由美氏(48)を擁立する方針を固めたことが25日、分かった。
 県連幹部によると、脱原発活動に取り組む両氏の姿勢を評価、党の方針とも一致しているという。近く党本部が公認決定する見通し。
 立川氏は、2月の市議選で初当選後、「選挙区内での居住実態がない」として県選管が当選無効の裁決をした。これを不服として裁決の取り消しを求め東京高裁へ訴えを起こしている。
 小高氏は、2011年4月の県議選で南8区(さいたま市桜区)から出馬し落選した
 (埼玉新聞2012.11.26)
 
 
国家公務員宿舎 
   半減ではなく削減率はたったの25.5%
 
国家公務員宿舎を半減? テレビや新聞で大きく報じられている。
半分に減らすの?
実はこれは個所数だ。1個所2戸のところもある。朝霞のように850戸の個所も1箇所のカウントだ。個所数では10,684箇所から5046箇所廃止でたしかに個所数は半減だ。しかし、戸数で見ると約22万戸が約16.3万戸へ、約5.6万戸の削減計画である。削減率はたったの25.5%でしかない。
 
 売却額も以前の計画では1.9万戸で1兆1千億円であった。それがたったの1700億円に化けてしまった。だれも追及しないのだろうか
 
●財務省発表内容 2012.11.26
 
 
 
 
 
 
 

「隻脚の外交官」の別荘・湯河原町 
          降伏文書のサインや手記など展示
 
重光葵(しげみつ・まもる)ご存知でしょうか。
1945年9月2日、東京湾の米戦艦ミズーリ号で日本政府全権として降伏文書に署名した人だ。
 
 東京新聞が「政地」巡礼で神奈川県湯河原町にある重光葵記念館を取り上げている。記念館は中国で爆弾テロに遭い、片足を失いながら、平和を願い続けた隻脚の外交官、重光葵の別荘だ。
 別荘は、重光が脚の傷を温泉で癒やすため購入したという。いまは記念館として週末に一般公開されている。玄関の正面には終戦時、政府全権としてミズーリ号で降伏文書に署名している重光の写真が飾られている。
 展示室には降伏文書のサインや駐英大使として英首相チャーチルと会談した時の写真と手記、外交官時代の旅行かばんなど、足跡を伝える資料が並ぶと記事は伝える。
 
 重光は駐英大使時代は日独伊三国同盟に反対し、駐華大使になると、行政・経済の指導権を中国に返還し、平和になれば撤兵するという新政策を進めようとした。東条内閣では外相でありながら、ひそかに内大臣木戸幸一と話し合い、昭和天皇の「鶴の一声」による戦争終結の道を模索。
 だが、戦後、重光は極東国際軍事裁判で禁固7年の有罪判決を受ける。釈放後、政界に転身し、鳩山内閣で副総理兼外相となり、ソ連との国交回復や日本の国連加盟に尽力。国連総会で「日本は東西の架け橋になる」と演説した。
 
 重光葵について改めて知ったのは孫崎享著「戦後史の正体」を読んでからだ。まず「葵」をどう読むのか知らなかったほどである。孫崎氏は重光を高く評価。戦後の対米関係でも日本の自主路線を最も強く主張した人物であった。鳩山内閣時代、重光外相は米軍の12年以内の完全撤退提案を米国に行っている。鳩山内閣崩壊後、わずか1ヶ月後の1957年1月、69歳で急逝した。対米追随路線の吉田茂首相とは相容れることはなかった。
 
■東京新聞の写真から
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